Mainichi INTERACTIVE 2003 阪神特集「トラを支える男たち 藤本敦士(上)」




 ヘルニアで亜細亜大中退、挫折から再起


 ◇野球やれる喜び、全身に

  18年ぶりのセ・リーグ制覇へ独走する阪神タイガース。
  8日には、優勝へのマジックナンバー「49」が点灯した。
  先月は伊良部秀輝投手、金本知憲外野手という投打の中心選手を紹介したが、
  今月は逆境を乗り越え、チームを支える脇役3人にスポットを当てる。
  まずは入団3年目で遊撃のレギュラーに定着した藤本敦士内野手(25)。
  主役とはひと味違うドラマチックな野球人生を追った。 

  「今までテレビで見る世界だったんで......。夢のようです」。
  ファン投票によるオールスター戦出場が決まった今月3日、
  甲子園球場(兵庫県西宮市)の会見場にずらりと並んだ阪神勢の中で、藤本の声がひときわ弾んだ。
  抑え切れない喜びの裏には、球宴どころか、野球すら一時断念した過去があった。

  順調だった人生が暗転したのは、亜細亜大に入学した96年夏のことだ。
  兵庫・育英高ではセンバツに出場。
  大学でも春からベンチ入りして頭角を現し始めた矢先、ヘルニアが腰を襲った。
  足がしびれて歩くのも難しく、痛みで熟睡も出来なかった。

  兵庫県明石市の実家に「やめたい」という電話がかかってくるようになった。
  父和幸さん(56)と母紘子さん(59)は「もう少し辛抱しなさい」と説得したが、受話器の向こうから泣き声が漏れた。
  肉体的な苦痛だけでなく、精神的にもボロボロになっていた。

  結局、亜大を中退して実家に戻り、リハビリを開始したが、「野球はやりたくない」と宣言。
  息子がプロ野球選手になるのが夢だった和幸さんは泣いた。
  この涙が藤本の心に引っ掛かっていた。
  やがて腰が回復すると、再び白球への思いが募った。「もう一度やりたい」と父に打ち明けた。

  しかし、大学中退者の行き場所は見つからない。
  しかたなく、実家近くの公園で孤独な練習が始まった。
  藤本を支えたのは、小学校からの親友、三石隆之さん(26)と西本和寿さん(25)だ。
  毎日、キャッチボールやトス打撃に付き合った。
  「僕たちでは物足りなかったはずだけど、敦士は真剣だった」と振り返る。

  翌春、道が開けた。
  滋賀の甲賀総合科学(現甲賀健康医療)専門学校に誘われて入学。
  無名の専門学校でも、藤本に暗さはなかった。
  同校の藤本政男監督(47)は「他の選手とはレベルが違ったが、それを嫌がるようなそぶりは一度も見せたことがない」と語る。

  大きな挫折を経て、野球へのひたむきさは一層強くなった。
  9日の広島戦でも、攻守交代時に全力で走る藤本の姿があった。
  本人は「全力疾走は体力作りの一環」と言うが、親友の2人は「とにかく野球が大好き。昔と変わらへんなあ」と笑う。
  野球をやれる喜びを全身で表すプレーが、連日猛虎ファンを沸かせている。



  藤本敦士
   阪神大震災直後の95年センバツに地元の兵庫・育英高の主将として出場。
   2回戦で自らの悪送球でサヨナラ負けした。
   亜細亜大を中退、甲賀総合科学専門学校からデュプロに入社し、00年の日本選手権に出場。
   同年秋のドラフト7位で阪神入り。


                                         (毎日新聞2003年7月10日大阪夕刊から)